舞台、無事終わりました。来て下さった方々、宣伝してくださった方々、来たいと思ってくださった方々、全ての方々に感謝します。当日は麻草初舞台という事で緊張し、まったく挨拶もできず、特に昼の部に来て下さった方、申し訳ありませんでした。アンケートをおかなかったのは、単にスケジューリングの問題で、意見を拒否したわけではありませんでした。ですから、サイト上やメールでいただく感想は、当然ヘコみますし、少しはいい所あったんじゃないのかオイ、まったくほめるところナシか、そんなにつまらなかったですか、本当にごめんなさい、許してください。と思いつつも、有難く読ませていただきましたよ。今後とも精進しようという決意も新たにライオン部隊次回は映画を撮ります。
--そういえば昔僕は「政治に関してはノーコメントをつらぬきます」と宣言して、それをひっくり返していたのだった。そういう誠実さの欠片もない人間は、野嵜氏のような真っ直ぐな人間が妬ましくて、こうやって話題に取り上げたくなってしまう。野嵜氏が僕のような馬鹿にからまれやすい理由は、そこにあると思う。
繰返すが、多くの人が、アメリカだけは許せない、と思ふ理由が、私には理解出來ない。
反戦活動家や平和運動家がアメリカを非難するのは、アメリカの一国独裁が世界を支配するのに比べ、イラクの独裁政治が日本の政治に影響を与える可能性が、低く見えるからだろう。
「アメリカが軍事支配をおしすすめれば、石油石炭ガスは堀り尽くされ、地球温暖化の研究は停止し、低燃料車の研究も停止し、裕福層へ向けての減税が発表され、中流層の医療保護は撤廃され、避妊は禁止され、医療費教育費は削減され、各国の内戦で細菌兵器が使用され、使用した国は全て爆撃される」と「反戦家」が考えるのは、アメリカが現にそのような政策を選んでいるからだ。
「多くの人が、アメリカだけは許せない、と思ふ理由」は、単なる知識の不足によるものだったり、情緒的な理由によるものだが、だからといってアメリカの一国独裁を看過して良いという結論に至るのは、性急に過ぎる。ドイツやフランスがイラク攻撃に反対するのは戦争が悪いからではなく、国際政治の中心を奪おうとするアメリカの魂胆が国際社会の枠組みを破壊するものだからだ。
人は理解できない事象に対して一応の安心感を得るために「仮想敵」を作る。電波喫茶のママさんが「大家が電波を送るのよ!」と店に張り紙やアルミホイルを貼って近所の人に訴えるように、自分の身に降りかかる不幸の原因が不明であればあるほど外部にその原因を求める。そのような原因で生まれた情緒的な「戦争反対!」と、前述した理由による「イラク攻撃反対」を、同列に論じるのつもりがないのであれば「理解できない」などという皮肉を書くのは良くない。日本人の多くが仮想敵にアメリカ=ブッシュを選ぶのは、日本が戦争に負けた時に進駐したのがアメリカ軍だったからだし、ブッシュが目に見えて馬鹿に思えるからだ。誰だって自分の理解の範疇にある大義名分が欲しいのである。
京都は行きませんでした、ごめんなさい。
明日は舞台の本番です。ところで馬が折れるようになりましたよ!
折り紙は奥が深いですね。まだまだ基本を折る毎日ですが、たまにプリントした折り図をひねくりながら、頭をひねっています。折り線がつながったときの快感は、抜け出せない怖さがありますね。本は来週から本格的に探し始めようと思ってました。紙は……今のところ僕の折り能力が低いので、コンビニ売りの折り紙で我慢しています。
いやいや、僕もロボコンや鳥人間コンテストは大好きです。GoogleのI'm Feeling Luckyは使った事がないんですが、節足動物で検索するとやっぱりウチが出ます。
ところでgoogleと言えば、自分のサイトに「女軍人集まれー/軍人女集まれー」「妻が犬に食われた」「頭の悪い子よっといでー 」などと書くと、良い知らせ(大金持ちの遠い親戚の死等)が訪れるおまじないが大流行ですよ?
7日にも書いたけど、僕は本当に単なる大人数のオフ会が好きではない。だからドクデスを開いた当時は「オフ会という概念の破壊」という目標があった。色々な人が「なんだ麻草ができるなら、簡単じゃん」と、次々イベントオフを開いてくれたら、と夢想していた。結果はご覧の通り、昔からイベントを開いてきた人たちは僕ら「素人」とは違う、完成度の高いイベントを目指しているし、普通のオフ会は今までと同じようにいつまでも開かれ続けている。
だからこれから先、イベントを開こうと思っている人に、わずか五回の経験だけど、学んだ事を書いておこうと思う。イベントはとても楽しい、そして誰にでも開けるものだ。
なんで今回いきなりこんな事を書いたのかというと、僕が参加を表明しながら行けなくなったイベント、ホゲチューが呑み会になったからだ。もちろんクラブイベントに変更したのがほぼ一ヶ月前で、そこから会場を探すのは大変だったろうし、主催者の不在もあった。だけど僕ボケーっとしていれば、上に書いたくらいの事は伝えられたはずだった。その反省も含めて、もしこれからイベントを開きたいと思う人がいたら、積極的に手伝いたいと思う。バナーは作らないけど、待たせてる人がいるから。
これからやりたいイベント
さて、京都行きの件。
本来は舞台を観に来てくれる予定だった石川君へのお礼と、参加表明をしながら参加できなかったホゲチューへのお詫びを兼ねて計画した京都行きだったが、石川君が東京に来られないのと、同行希望者がゼロだったのと、何より「舞台本番ニ日前に主催者が旅行に行くのはヤバイらしいよ?」と、耳の上に棲んでいる羽根の生えた美少女が言うもので、かなり中止の色合いが濃い。というよりむしろ「だったら来週行けば?」という助言を聞き入れたい。たいせーさんは早く僕に連絡先を教えるべきだと思う。
送られてきたフォームの中に、リサと名乗る人から「オフが大好きなんですね!」「『わあい!』はむかつくのでどうにかなりませんか」というのが含まれていたので、僕は人を嫌な気持ちにさせるので閉鎖しようかなあ、と思いました。ゆえに闇黒日記に再び言及します。基本的には華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノをやられている徳保さんの備忘録平成15年2月9日への勝手な返答になるかと思います。
論争するサイトの管理人が、論争相手のサイト上でどれだけ罵られようと平気なのに、掲示板やメールでの匿名の一言で閉鎖を考えてしまうのは、その言葉に純粋な悪意や敵意を感じるからだと思います。サイト同士の論争というのは、煎じ詰めれば互いの大義のぶつけ合いです。どんなに間違っているように思える主張でも、その言葉は「正しいと確信して」発せられた言葉なのです。論争の中で罵倒や相手への挑発があったとしても、その根源は悪意に因るものではないのです。論争の種類にもよりますが、どちらかの主張の間違いが正されれば、論争は終わります(だから、論理的思考ができず、論争初期の確信を覆せない人は、グダグダな言い訳をします)。論争後の閉鎖や休止は、勝ち負けの表明ではなく、言葉が通じない相手や関係者への絶望感の表明なのです。 この恐怖感を消す為には、匿名の誰かが発した言葉の裏に、匿名ではない誰かの確信を想像すると効果的です。例えば冒頭に引用したリサさんは、僕に対する不快感を表明する理由があり、それを正しいと確信しているのです。だから僕はその主張に対してだけ真摯に返答すれば良いのです。「僕はオフ会は好きではありません。『わあい!』の無意味な多用を謝罪します」と。(これ以上の反論は、リサさんの思想的背景がわからないので、できません)
僕たちは、主張の裏を読むのが当然だと思って生活をしています。「殺す」の後ろに(笑)を読み取り、「格好いいですね」の後ろに(色々な意味で)を読み取り、被害妄想や加害妄想から逃げながら。
思想的背景の見えない匿名の罵倒を、人ごみの中で背後から身体的特徴を笑われた場合に置き換えてみましょう。もし背後から罵声を浴びせられたら、その罵声を発した人の確信する「正しさ」を想像して、気持ちを落ち着かせるのが一番精神に良い対応だと思います。
まるで僕がそういう対応できるみたいに書いてますが、とても難しい事だし、匿名の罵倒にはやっぱり恐怖を感じます。なるべく悲しくなったり怒ったりしたくないので、根本敬的な「世界はとてもくだらないものでできていて、どうしようもないアホな因果で動いている」というのをこれからの信条にしようと思います。それでもどうせ怒ったり泣いたりするので人間って面白いね!(一般論に帰結)
おまけ
ついでに斬鉄剣、あ、リンク間違えた。斬鉄剣さんの話。
彼が方々で笑われたり、徹底的に嫌われたりしているのは、彼の「確信」がその場限りのお飾りに見えるからなのでしょう。彼の文章には多くの矛盾があり、主張したい事があって何かを書いているのではなく、ただ主張がしたいだけに見えるのですね。「世の中には手段の為ならば目的を選ばないという様な、どうしようもない連中も確実に存在する
」という漫画「ヘルシング」の台詞(古くは漫画「パトレイバー」での台詞「手段のためには目的を選ばない男だからな
」を含む)が、恐怖や滑稽味を同時に生むのは、それが現実には存在し難いと僕らが思っているからですが、実際には卑しいレベルで存在した、というわけです。とうとう書いてしまった、自分への反省文としよう。
Y氏が以前「過去ログなど読まれる事はない」みたいな事を書いていて、ああ、読んでないのもあるよなァ、と思って、読もうとしたら全部既に読んでた。少数派なのだろうか。
「馬鹿(麻草)に言及されるのうざい」という理由であの人の更新が止まってたらどうしよう。おれひどいことしてしまった、と、加害妄想でオロオロする。疲れた時は休んでいいから、リソースは残しておいて欲しいと思う。闇黒日記はおまけなのだからして。
華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノにリンクされててびっくりした。わっ、って声に出た。嫌じゃないけど、いいのかなァ、って思った。ありがとうございます。できれば#200325でリンクしてもらえれば幸い。(とか言ってたら転載してもらってた、すげー、二度びっくり)
昼にラーメンの事で行き違いがあって、社長が怒鳴ったので「すいませンでしたァッ!」と「神様の愛い奴」の根本敬ばりに謝った。ラーメンで。
国家社会主義ドイツ労働者党が政権を取った当時、ドイツの経済はおよそ破綻状態にあった。クーデター以外の方法で右派が政権を握る為には、国民の同意が得られるような状況が必須だ。現アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュjrが選挙に勝つ前に、フロリダ州で17万3千人の”重犯罪者と重犯罪者に似た名前の人物の投票権"が剥奪され、8千人のテキサス州からフロリダに移り住んだ"重犯罪者と重犯罪者に似た名前の人物の投票権"が永遠に奪われ、そのうちおよそ半分が黒人だったとしても、やはり"アメリカ国民"は大統領ジョージ・W・ブッシュjrを望んでいたのだ。ジョージ・W・ブッシュjrが大統領の席につき、今でも大統領のままでいるのは、その為だ。
戦争というのは原始的な外交の事だと僕らは学校で教えられてきた。暴力では何も解決しない、というやつだ。非核三原則や戦争放棄を謳う日本という国は超近代国家なのだと。だけどちょっと待て、その立派な日本国憲法って奴は、いったい誰が考えたんだろう?
コーンパイプで有名なマッカーサーが、憲法の原文を書きながらその素晴らしさに感動して泣いたという変な都市伝説があるが、その真偽はともかく現行の日本国憲法はアメリカにもらった物だ。アメリカという若者が、極東の小さい爺さんがハネッかえらないように頭の上に乗っけた重石、それが超近代国家の証なのだ。
そのアメリカがまた何度目かの戦争をしようとしている。僕らは混乱する、そしてつぶやく「おい坊主、戦争っちうのは良いのか悪いのか、どっちなんや」若者は答えない、僕らは混乱する。
例えば僕が書いている文章は、正字正仮名でかかれてはいない。大東亜戦争中、日本軍は進駐した国の子供に日本語を教えた。戦争というのはそういうものだ。だから僕らは騙されてるって事に気付かなくちゃならないし、それをこうやって喋りつづけなきゃならない、口を閉ざしてぼんやりしていたら、自分が誰かもわからなくなってしまうんだから。
追記:後で読み返したら、僕がよく「意味がわからん」と言われる理由が理解できた。これはわからん、アホか。だいたいなんだ冒頭の一文は、まず「左派が政権を握っている場合」という説明がなければ意味がわからない。それに今のアメリカで共和党=右派、民主党=左派って解釈はあまりにも乱暴だ。そもそも民主党はクリントン政権のおかげで政策的には共和党とあまりかわらない党になってしまっていた。もしゴアが大統領になっていたとしても、おそらくアメリカ国内はもう少し環境が良くなっていたかもしれないが、対外政策はあまり変わらなかっただろう。
とりあえず僕が言いたかったのは、今僕らが何も調べないで頭に浮かべる事の出来る「戦争の理由」なんてモノは、およそ信用ならないゲテモノだって事だ。卑近な例だけど、人間が抱える暴力の基本構造が表出したこの事件を見てもわかるとおり、戦争の目的はいつだって「言う事聞けこの野郎」だけなんである。だから戦争に負けたら言う事を聞かなきゃならん、僕らは戦争に負けた国に住んでいる。もちろん"言う事を聞かない"のと"戦争をする"のは、全然違う。逆らったら殺されるからといって、靴まで舐める必要はない。
変な話になった。ちなみに暴力の原因になるのは「模倣」つまり財産の横取りだったりする。そういう意味でこういう連想が働くのは仕方がないのではないか、ゲテモノだけど。闇黒日記は好きなんだが、2月4日以降の大人気無さは呆れる、否、萌える。
ひでえ追記になった、反省しよう。戦争ハンターイ。
ヤー!バナー作った!ヤー!
<a href="http://www.byakhee.com/lion/"><img src="http://screammachine.tripod.co.jp/img/rion.gif" border="0"></a>
ドクデスの会場でライオン部隊のチラシを配ったんですが、なんか皆捨てて帰ったみたい。首吊ろう、ぶらーん。
ドクデスのOPを前日の夜中にアッコさん家に行って編集して当日ハァハァ言いながらアッコさん届けてくれて流してワーイって喜んでたら2人くらいしか見てねえのな、アレ。
とりあえずネタ元公開
音楽
劇場映画「紅い眼鏡」オープニング曲
映像
ヒットラーの演説
ロシア兵の行軍
ドレスデン空爆
走る機関車(数種)
タイトル文字(自作)
吊るし上げられるムッソリーニ他
墜落するヒンデンブルグ号
日食の落日
万歳する関東軍
今回も色々言われてヘコんだのですが、竹田君がものすごく頑張っていたので、次回は僕が頑張って、楽をさせてあげたいなあ、と思いました。とりあえず次回は照明を誰かに頼もうと思います、楽しいんだよ、照明係、本当に。
さて、いよいよ明後日23時より「地獄の死神超特急」が始まります。僕は23時から10分ほど回します、オープニングアクト、ね。モタモタしていてクマ害さんに頼みそこねたので、僕が作ったものすごく画質の悪いムービーを流すかもしれません。地獄で死神で超特急なやつ。今回は竹田君やDJをやってくれる人たちや、リンクしてくれた人たち、そして来てくれる人たちのおかげで、僕はホゲーとして過ごせているので、ありがたいです。
先述した折り紙のホームページのめぐろ氏から丁寧な礼状をいただきました。節足動物の頭部を構造解析して折ってらっしゃるのですが、凄まじい事になっています。折り紙掲示板。カミキリムシの頭部を思わせる形状ですね。 また、S太郎氏から「すんげぇムカデの展開図」をお知らせいただきました。折り紙掲示板No.651からNo.782にあります。実は今入門書を買おうかどうか検討中です、これ以上趣味を増やすのは危険だとわかっているのですが。
実は先日、引越しをしまして、運んでる途中に、積載限界600キロのエレベーターが二回鳴りました。ブーって。載っていたのは、二回とも、本でした。趣味を増やすのは危険です、紙は重い。
今日、掲示板です。折り紙に関すること、関しないこと、何でも御自由にお使いください。 と書かれた掲示板からリンクされた。
なんで、節足動物の図を見るかというと、展開図上の帯領域と節足動物の体の一節とを対応させれば折紙造形がとりやすいかもしれないから。とのこと。検索によって、僕のまとめた「節足動物について」にたどり着いたというわけだ。僕はうれしかった。以前からgoogleで「節足動物」と検索すると、節足動物園が一番に出て来る。これを僕は、遅れて来た青年で転叫院氏が書かれたとおり、情報公害だと思っていたのだ。あまり参考にはならなかったかもしれないが、少なくとも僕の作図した絵が、閲覧する価値のあるものとして認められたわけだからして、うれしくないわけがない。
この掲示板によって僕は虫たちの昔々の話と遺伝形質の発現(形質発現)とためになるショウジョウバエの話を知り、節足動物についてを更に解りやすくする事ができた、と思う。そしてなにより、僕はリンクされる事によって、折り紙の深遠なる世界を垣間見る事ができた。おい、折り紙すごいぞ、ちょっと想像つかないぞ。めぐろさんありがとう、インターネット万歳。
やったー!とうとうライオン部隊の公式サイトができたよ!ライオン部隊というのは僕がやってる劇団で、おもに人間存在の不安をドリフ的に表現する劇団なんだ!見ないと爪の間から身におぼえのない短い毛が大量に出て来るから、必ず見るように!公演は2月16日!昼13時からと夜19時からの二回!一日だけ!1000円はどう考えても安すぎ!
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■ナンシー関追悼追記
というわけでナンシー関だ。エニグマのマリオネット1月10日で「ナンシー関」観がズレているとの指摘を受けた。しかし「ナンシー関観」ってすごいな、一生のうち口にする可能性の低い言葉ランキングでかなりの上位にくいこむ気がする。とりあえず僕のナンシー関観はこうだ。中期に発表されたルポ「信仰の現場」などに明確だが、ナンシー関は一貫して「信者と教祖(或いは教義)」の関係に「おっちょこちょい」や「すっとこどっこい」といった要素を見出して、笑うのではなく描き出している。「テレビ消灯時間」シリーズでは、少しひねった「まだ教祖ぶってるけどそれもう許されてないよ!」という突っ込みを芸にしていた。
「おっちょこちょい」や「すっとこどっこい」を見出す為の「それがアリな場所」が明確ではないテキストサイトにおいて、ナンシー関的手法は有効に機能しないと思う。なぜなら「客全員がタオルを投げる矢沢永吉のコンサート」や「ワイドショーにうなずく主婦」という目に見える多数の信者がいる(読める)からナンシー関の言葉は主観的でありながら面白いわけで「コレどうなの?」と聞いた先の「コレ」信者が「どうなの?」と思う人よりも少なかったら、それは単なるイジメだからだ。まあイジメ芸ってのもありますが、芸人じゃないんだからさ、無理すんな。
「かまくら」の「テキっ娘。」や「無題」や「斬鉄剣」に漂う「あちゃー」といった雰囲気は、ナンシー関よりもむしろ根本敬的なアプローチが有効なのではないか。だってこれ、信者いないもんなあ、どうみても。トリコじかけの明け暮れ。そういやケルベロスは村崎百郎っぽい、とても。
参考■少数報告
「俺、大丈夫?」という台詞を、ある種の薬物を好む者は発した事があるはずだ。脳内で起こる事と現実に起こっている事の区別がつかなくなり、けれど多幸感がある場合、人は意外と外見や行動に気を配るものらしい(電話をかけて嫌われたりもするが)。そしてこのような不安感は人間の脳にとって常態必要なものだ、だからこそ薬物を使用しない人間にもP・K・ディックの作品は愛好される。
主人公の「俺、大丈夫?騙されてない?」という感覚がディック作品の大きな魅力だ。観客を騙すのが映画の仕事なのだから、ディックと映画の相性がいいのも当然なのだ。けれどシュワルツェネッガーのように「馬鹿だから騙されてるの?え、真顔?ネタ?」と、観客を別の意味で不安にさせたり、ピーター・ウェラーのように「オイオイコイツが騙してるんだろ?」と、観客に邪推させてしまうような顔の俳優ではよろしくない。イイ感じで観客に感情移入させながら、完璧に何かに騙されているような、そんな俳優がディック映画にはふさわしいのだ。
映画「ブレードランナー」でデッカードを演じたハリソン・フォードのような。何かを考えているようで、その実何も考えていないような顔。そこでトム・クルーズの出番が来た。「バニラ・スカイ」で徹底的に騙され「マグノリア」で自己を欺瞞し「ミッションインポッシブル」で再び騙されまくり「MI-2」では真顔でウー世界に突進する天真爛漫さを見せたトム。彼と騙し屋スピルバーグのコンビこそ、観客皆が「俺、騙されてる?」と不安になれるイカシタコンビなのだ!
……俺、大丈夫かな?
エニグマのマリオネット1月7日、ナンシー関のような視点でテキストサイトについて語るサイトをやりたいと言いながら「そのうちいつか」と締めるネタ。僕も昔似たようなことを書いたのだけど結局やらなかった。上智氏と僕がなぜ同じ結論に至ったかを考えてみよう。
まず第一に、被批評サイトのイメージ固定が難しい事が挙げられる。テレビ番組は時間帯によって視聴者の種類が確実に変わる、例えば朝八時以降に放送されるワイドショーを見る事のできる職業とできない職業は明確に分けられる。これによって、ナンシー関は「ワイドショーを見る主婦」や「深夜のバラエティ番組を見る学生」といった視聴者のカテゴライズを行い、テレビ番組をあまり見ない僕のような人間にも推測できる「視聴者の姿」から、タレントの質を想像させた。転じてテキストサイトに目を向ければ、このような時間帯による視聴者の区別がつきにくく、カテゴライズの基準から主観に頼らざるを得ない状況が、ナンシー関的な視点を生みづらくさせている原因だとわかる(「モテサイト」「非モテサイト」の閲覧者像を明確に定義できるだろうか?)。
次に、ナンシー関の判断基準の一つである「テレビに出していいのかアレ」という「資格問題」が浮かぶ。テキストサイトに資格は必要ない、なぜならテキストサイト運営は基本的に無報酬だからだ。テレビを見るのは只だが、タレントは報酬を得ている。ナンシー関が「どうなんだろう」と書くとき、その裏には「スポンサーさん金出していいのアレ」といううっすらとした大義名分があるのだ。もちろんテキストサイトを読む時、僕らは時間を消費している、けれど文章を読むスピードや解読力に差がある以上、それを大義名分とするのは不可能だろう。
そして最終的な問題として、テキストサイトには人気を量る機構がない。タレントの人気は、商品としての価値が高いかどうかで決まる。つまり、多くの番組に出ているタレントが、人気のあるタレントなのだ。ところが視聴率ランキングであるリードミーに全てのサイトが登録しているわけではないし、グーグルのヒットとサイトの人気は等価ではない、ましてや匿名掲示板で話題にのぼるのと、閲覧者の数には決定的な相関がない。普通に疑われていない価値基準を疑うところにナンシー関の面白さがあるわけで(もちろんナンシー関体験以降はそれが普通の価値基準に転ずるのだが)、一応の基準が存在しないテキストサイトにおいて、ナンシー関的な面白さは実現が難しいのだ。
上智氏の「ナンシーはギャップの構造を描き続けている」という解釈にはおおむね同意する。しかし、ギャップを読み取る為の「許された世界」が確実でない以上、テキストサイトにナンシー関の手法を持ち込むのは難しいだろう。この事を先達者として指摘しておきたい。既得権か、何様だ。
僕は故人であるナンシー関の著作の一読者だった。テレビ番組をあまり見ない僕にとって彼女の視点は世界を知る方法の大切なひとつだった。彼女の死によって僕は、毎週の楽しみであった雑誌連載と共に、世界を見るための視点の一つを永遠に失った。なんだかしんみりしてしまったが、失ったからどうなんだって話ではある。
年明けから電子頭脳の様子をおかしくしてしまい。新年の挨拶もできないまま、各方面にご迷惑をおかけしました。すっかり良くなりましたので、しばらくは元気に活動できるでしょう。これからも節足動物園をよろしくお願いします。
トム坊とスピやんの「マイノリティリポート」を、シネマバディであるところのカナさんと観ました。以下雑感、を書こうとしたら転叫院氏が「筒井節にコンバートすれば映画の中でときどき挟まれる「家族っていいよね」みたいなものも、ブラックユーモアに思えるから不思議。
」という素晴らしい解釈をしていたので、僕如きが語ることなど何もないのだと悟ったのでした。実は転叫院氏とはコミケでお会いしていて、その時も「頭の回転の早い人だなあ」と思ったのですが、今回もヤラレタ、似た知識があってもその接続方法に根本的な違いが、というか単に僕がプレッシャーとアドリブに弱いだけか。次回公開されるデカプリオとトム・ハンクスの「プリオとトムハンの追いつ追われつ」もブラックコメディ調なので、意外とスピやんは筒井を読んでるのかもしれないと思いました。ちなみにトム坊は全部わかっててやってるので、ナナメに見て笑うのは正しい鑑賞法です。スピやんも多分わかっててやってます、騙されるな!
rorobo@24h.co.jpがいつのまにか死んでいたので随分とメールを跳ね返してしまっているようです、万が一送られた方が居られましたら、vinylbug@hotmail.comが生きてますので、こちらへお送りください。
くぼたんの新サイトよりも大切な事があったんだけど、すっかり忘れてた。うそ、一生懸命やってるので皆も一緒に懸命になったりしよう。ドクデスV、誰も来なかったら赤字が五桁×二桁ヒャー。